2010/02/27

RACE? I DON'T GIVE IT A FUCK

木曜の出来事。


その日は練習が夜の10時までありました。遅いです、まじで。


夜の10時って事はですよ、夜の10時に終わってから片付けとかあって、特に新人の俺は3年生といえど1年と混ざってボール拾ったりゴール運んだりなんちゃらしたりと大忙しなわけです。


んでもって飯ですよね。そして風呂ですよね。そしたら当然、グレゴリオ歴は新たな日を迎えようとし始めるわけです。


前日は中間で必死に勉強してました。前々日は宿題の締切が2つもあって、ずっとそれに尽力してました。そして9時間後くらいにはまた新たな課題の提出なわけです。課題は実に10ページ分。寝てる暇なんてありません。


さてさてそんなこんなでスタートした課題、練習後の深夜の集中力では一向に終わる気配もなく、ただただ時間は過ぎ、Facebookには日本にいる友達が続々と出現し始めます。時刻は4時を回ってます。


するとその時、玄関が開き、ルームメイトのIanが帰ってきました。もうこれでもかというくらい酔ってました。開口一番、彼はいきなり日本へ行きたい!切り出しました。俺が深夜のある種覚醒状態じゃなかったらさぞかしめんどくさいと思ってしまっていた事でしょう。


実はIan君、9歳まで日本にいたんですね、驚くべき事に。だから日本語がほんの少しできます。単語を選べば会話だって成り立ちます。所沢にいたそうな。西部ライオンズのファンです。でも彼曰く、恥ずかしくて日本語は喋りたくないとのこと、なので今まで日本語でしゃべったのは3回しか見た事ありません。


さて、彼はまず、昔住んでた家の話をし始めました。Google Earthで彼が通ってたの小学校や家を見つけてあげたら大興奮で、西友とかにめちゃ反応したり、近くに住んでた子がかわいくてどーの、とか童心に帰りまくってました。


そこから、彼の母方の実家の話へ。Ianは父がアメリカ人、母が日本人です。その母の実家が長崎にあるとのこと。長崎でトカゲやカブトムシを取ったことを嬉しそうに語る。そして、そう、長崎といえば原爆。彼は子供のころ長崎で被爆者の体験や資料館の光景にショックを受け、ものすごく泣いたそうです。あまり知らなかった素顔にぼくは聞き入っていました。


それから彼の父方のおじいちゃんも母方のおじいちゃんも、どちらも第二次世界大戦で兵士として戦っていた事について話しました。だから自分の両親の結婚には実は両祖父母は賛成ではなかったという事、でも自分は両祖父母が大好きでありそんな事は信じたくないという事、それについて悩んでいたという事などを神妙な面持ちで話してくれました。


とくに彼の叔母の話では表情が更に険しくなり、叔母は原爆で片腕に大きな傷を負っていたらしいんですが、子供のころはそれが理解できずに気持ち悪がってしまい、今となっては本当にそれを恥じていると言っていました。その時彼は言葉に詰まり、必死に涙ぐんでいることを隠そうとしていました。大人になった今、もう一度叔母にあってまた話がしたいと願っていました。


そして大人になった今だからこそ、また長崎を違う視点で見てみたいとも言ってました。更には今の日本の若者のライフスタイルが見たいと熱望していました。昔は自分の中でファイナルファンタジー7が人生だったから、もっと大きな視野で、日本人と接して東京を見てみたいと目をきらめかせていました。


他にも日本の思い出として、おじいちゃんがよく散歩に連れてってくれて、その時の三ツ矢サイダーとファンタが忘れられない、また飲みたい!とか、そのおじいちゃんが亡くなった時が人生で一番泣いた時だったなーとか、マックのてりやきバーガーがアメリカで売ってないのが信じられない!とか、などなど。


学校の話も。やはり彼は見た目も名前も日本の普通の小学生とは違ったので、結構辛いいじめを受けていたそうです。アメリカに移ってからはそんなこともなくなったとのこと。それはやはりアメリカには多くの文化的背景を持った人間がいて、統一制を好む日本とは異なり違いはあって当然だったからだと言ってました。それでもこちらの中国系移民は大抵、白人から毛嫌いされていたと言ってました。Ianはそれが許せなかったそうです。


いわく、今、自分が本当によき友と思って付き合える仲間は、昔も今も人種に関係なく他人への尊敬の念を忘れない人間であり、そのような世界的な潮流が母国アメリカではまだ浸透しきっていない場所もあり、非常に残念だ、とのこと。



いろいろと話を聞いて、それが興味深くて眠気も吹き飛びました。
そしてそのとき、2人は互いの思いが重なったのをお互い見逃しませんでした。


おなかすかない?行くか。無性にマック行きたい!時刻は5時。


行きましたまじで。最寄りのマックは24時間営業じゃなかったので、Ianの車で高速使って行きました。ありえないテンションでした。



でも更にありえない事態が二人を待っていました。朝マック。それは餓死寸前といえど、いただけない。全くそそられず、全力で引き返す。そしてJack in the Boxってとこのドライブスルーで買って帰宅。ひたすら食う。6時。至福の一時でした。Ianはそのまま死亡。でも僕はまだ死ぬには早すぎました。ということで徹夜でやり抜きました。

注文を待ちきれないIan


いろんな意味でなんとも忘れられない夜になりました。いつもパーティー三昧で部屋の机にふつうにアレが置いてあるそんな彼ですが、様々な側面を垣間見る事が出来てよかったです。みなさんIanが日本に来たら会ってくださいね。

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